久しぶりに閖上を訪れました
2013年 05月 06日
2013年のゴールデンウィークも本日が最終日、
全国的に五月晴れの本日を皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私はこのゴールデンウィークの間に宮城へ単身帰省し、
津波の甚大な被害を受けた、深い縁のある閖上(ゆりあげ)を久しぶりに訪れました。
これは2011年5月の様子です。
この写真の状況でも、ずいぶんときれいになったと思いました。
私はこの1カ月前の2011年4月にもこの場所に立っているのですが
その段階では地面の多くがまだ生々しく瓦礫で埋め尽くされていました。
それらがつい先日まで生活の一部であった物の欠片たちだと思うと、
伝えることよりも胸が痛みカメラを向けることが出来なかったため、4月の写真はありません。
これは2011年7月の様子です。
瓦礫と言われる物はほとんど撤去されました。
この時はこの地区に瓦礫がまとめられるということで大型トラックが激しく往来していたため
地元の者でも立ち入り制限があり、名取市が発行する許可証が必要でした。
そして5月には聞こえなかった、整地作業や瓦礫運搬のトラックの音と地響きが広がり、
早く復旧復興が進んで欲しい思いとは裏腹に、
そこにあったはずの町がどんどん消されていくような様子に胸がしめつけられました。
間があきましたが、こちらが今回2013年5月の様子です。
住宅地だったあたりはほとんど変わりがありません。
ただ、以前は何もなく広がる地面に「流されてしまった」という感覚がありましたが
今は雑草が生えており、町がなくなったというよりは広い野原のようで、
生活があった場所ということは見えにくいだろうな。
右の奥に見える簡易な建物は、瓦礫を処理するプラントの関係の建物だと思われます。
これは真正面に海を望む位置になります。
2011年に訪れた際には、そこかしこに瓦礫がうず高く積まれていました。
現在は瓦礫処理の大きなプラントが稼働していました。
ゴールデンウィークということもあってか、このように大型観光バスが到着し
たくさんの人がやって来ます。
小さな日和山も混雑。
日和山の下には、津波の状況を説明するパネルが設置されていました。
観光バスや他県ナンバーの車で訪れた方々が、
ガイドさんの話を聞きパネルを見て涙を流されていました。
私は2011年にここに立った時、大型タクシーなどで乗り付ける人が
どんどん増えて来た事に、実はなんとなく抵抗を感じてしまっていたのですが
今はとてもありがたく思っています。
ここで見て聞いて感じたことが何かの行動になってくれるかもしれないし、
伝えてもらうことで何かの支援に繋がるかもしれません。
実際にこういった場所を訪れ、仮設住宅を歩き
心のこと、物理的なこと、お金のこと、まだまだ支援が必要な状況だと実感しました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
いつもなら「母の日」のプレゼントにおいしいイタリア食材はいかがですか?と書きますが
今日は宮城県山元町で作られているいちごの紹介をします。
宮城県南部の沿岸に位置する山元町はいちごの栽培がさかんな町、
しかし津波によっていちご農園のほとんどが流されてしまい、農家の方々も
今なお仮設住宅での生活が続いています。
そこでとあるNPO団体が支援を始め、「いいものをつくろう」「山元町のいちごを全国に」
という働きにより2012年に立ちあがったブランドが『MIGAKI-ICHIGO』ミガキイチゴです。
磨かれた技術で出来たイチゴは、本当に見た目も味も宝石のような
目と舌と心をくすぐる素晴らしいイチゴ。6月初旬まで楽しめるそうです。
山元町に住む、私の親しい友人にこのミガキイチゴを頂きました。
おいしい!大粒で甘味と酸味のバランスが大変良く、そのまま食べるのがお勧めです。
宮城県山元町
『MIGAKI-ICHIGO』
ミガキイチゴ←のページへ
※左の写真はミガキイチゴさんのHPよりお借りしました。
あ、もちろん、
良質で美味しいイタリア食材も!ぜひ!
イタリア食材のオンラインショップ→
全国的に五月晴れの本日を皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私はこのゴールデンウィークの間に宮城へ単身帰省し、
津波の甚大な被害を受けた、深い縁のある閖上(ゆりあげ)を久しぶりに訪れました。
この写真の状況でも、ずいぶんときれいになったと思いました。
私はこの1カ月前の2011年4月にもこの場所に立っているのですが
その段階では地面の多くがまだ生々しく瓦礫で埋め尽くされていました。
それらがつい先日まで生活の一部であった物の欠片たちだと思うと、
伝えることよりも胸が痛みカメラを向けることが出来なかったため、4月の写真はありません。
瓦礫と言われる物はほとんど撤去されました。
この時はこの地区に瓦礫がまとめられるということで大型トラックが激しく往来していたため
地元の者でも立ち入り制限があり、名取市が発行する許可証が必要でした。
そして5月には聞こえなかった、整地作業や瓦礫運搬のトラックの音と地響きが広がり、
早く復旧復興が進んで欲しい思いとは裏腹に、
そこにあったはずの町がどんどん消されていくような様子に胸がしめつけられました。
住宅地だったあたりはほとんど変わりがありません。
ただ、以前は何もなく広がる地面に「流されてしまった」という感覚がありましたが
今は雑草が生えており、町がなくなったというよりは広い野原のようで、
生活があった場所ということは見えにくいだろうな。
右の奥に見える簡易な建物は、瓦礫を処理するプラントの関係の建物だと思われます。
2011年に訪れた際には、そこかしこに瓦礫がうず高く積まれていました。
現在は瓦礫処理の大きなプラントが稼働していました。
たくさんの人がやって来ます。
日和山の下には、津波の状況を説明するパネルが設置されていました。
観光バスや他県ナンバーの車で訪れた方々が、
ガイドさんの話を聞きパネルを見て涙を流されていました。
私は2011年にここに立った時、大型タクシーなどで乗り付ける人が
どんどん増えて来た事に、実はなんとなく抵抗を感じてしまっていたのですが
今はとてもありがたく思っています。
ここで見て聞いて感じたことが何かの行動になってくれるかもしれないし、
伝えてもらうことで何かの支援に繋がるかもしれません。
実際にこういった場所を訪れ、仮設住宅を歩き
心のこと、物理的なこと、お金のこと、まだまだ支援が必要な状況だと実感しました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
いつもなら「母の日」のプレゼントにおいしいイタリア食材はいかがですか?と書きますが
今日は宮城県山元町で作られているいちごの紹介をします。
宮城県南部の沿岸に位置する山元町はいちごの栽培がさかんな町、
しかし津波によっていちご農園のほとんどが流されてしまい、農家の方々も
今なお仮設住宅での生活が続いています。
そこでとあるNPO団体が支援を始め、「いいものをつくろう」「山元町のいちごを全国に」
という働きにより2012年に立ちあがったブランドが『MIGAKI-ICHIGO』ミガキイチゴです。
磨かれた技術で出来たイチゴは、本当に見た目も味も宝石のような
目と舌と心をくすぐる素晴らしいイチゴ。6月初旬まで楽しめるそうです。
山元町に住む、私の親しい友人にこのミガキイチゴを頂きました。
おいしい!大粒で甘味と酸味のバランスが大変良く、そのまま食べるのがお勧めです。
宮城県山元町
『MIGAKI-ICHIGO』
ミガキイチゴ←のページへ
※左の写真はミガキイチゴさんのHPよりお借りしました。
あ、もちろん、
良質で美味しいイタリア食材も!ぜひ!
イタリア食材のオンラインショップ→
by yumico_san
| 2013-05-06 13:33
| 日記